2021.3.11あれから10年、これからのことを考える。

株式会社WOOM代表の浦川です。
あの日から10年、ということで、少し思い出話も混ぜながら、今犬と一緒に暮らしているという現実と未来のことを。

2011年3月11日のこと

あの頃はまだ僕は会社員で、新宿のオフィスで働いていました。
部下と3人で会議をしている最中で、最初は「あ、地震だね。」だったのが、「長いね、この地震・・・。」になり、次第に座っているのも困難になり、机の下に2人のスタッフを避難させ、会議室のドアを開けて自分も机の下に。
そのうちの1人のスタッフは大阪出身なので阪神大震災も経験していたのですが、それでも生きた心地はしなかったとのこと。

揺れが収まり、外を見ると新宿の街は大混乱。甲州街道にも明治通りにも人が溢れ、新宿駅には人が殺到し、車はもう通れる状態ではない。
オフィス内は棚がそこら中で倒れ、PCのモニターがあちこちに散乱。

ひとまず社長の指示のもと、全員で避難をしましょうということに。みんなが避難場所だと思っていた新宿御苑、会社から歩いて数分のところでしたが、まさかのここは避難場所ではないので入れません、と。
そこそこ大きなビルで働いていたので、僕はあまりむやみに動くよりは、ちゃんと情報がわかってから動いた方が良いかなと思い、数名と一緒にビルの1Fに残りました。

直前にニュージーランドの地震があり、そのときにビルが倒壊し、エレベーターだけが残っている映像が記憶にあったので、エレベーターの周りはもしかしたら地震に強いんじゃない?なんて話をして、みんなでエレベーターホールにいました。いざというときにすぐに外に出られるということもあり。
※この情報が正しいかどうかはわかりません。

繰り返す余震に怯えながらも一度みんな事務所に戻ることに。テレビをつけて津波や火災の映像が流れるのを見て、みんなで言葉を失った記憶があります。

社長のとっさの機転でコンビニに行って今すぐ全部のパン買ってこい、とスタッフが買いに走りました。100名近いスタッフがおり、家が近い人も遠い人もいるため、会社に宿泊するスタッフもいるだろうということで、食料をまずは手配。今考えると、さすが100人以上の社員を雇う会社の社長だな、と思います。
自分があのとき会社の社長だったらどういう判断ができたのだろう、と。今は震災を経験したこともあり、いろいろとできることもあるのかもしれませんが、あの頃は防災に対する意識っていうのは何もなかったっていうのが本音です。

余談ですが、当時も通販の仕事をしていて、余震が続く中、今日お届け予定の荷物が届かない、というクレームで関西の人から電話があり、「お前のところ東京なんだから地震なんか関係ないやろが!!」って怒鳴りつけれ、部下がキレて「こっちは大変なことになっとるんや!関係ないわけないやろが!!」と関西人(ちなみに女性です)丸出しで怒って電話を切っていたのには正直笑ったし、もう今日は電話は出なくていい、サイトに臨時休業って書いておこう、ということになりました。あの客のことはたぶん震災のたびに思い出すんだろうな、と思います。そんな人間にはなりたくない、と心から思います。

電車が動かないということで、遠い人は会社に宿泊する、近い人で帰れる人はひとまず徒歩で帰宅することに。僕は新宿から3kmほどのところに住んでいたので20人ぐらいのスタッフと一緒に帰宅。車は大渋滞、人も歩道からあふれるほどで全然進まず。1時間もあれば帰れるようなところを2~3時間かけて帰った記憶があります。近所の自転車さんは自転車がすべて売れていました。笹塚というところに住んでいたのですが、新宿から歩いて疲れた人たちが、限界を迎えて笹塚で自転車を買っていたみたいです。

僕は家に帰るのが怖くてそのまま行きつけの飲み屋さんに。一人暮らしで同じようなことを考える常連さんが続々と集まり、朝方まで地震に怯えながら過ごしていました。今は犬がいるので、まっすぐ家に帰りますが。

この先、大地震が来たら

もし、今大地震が来たら・・・ということを時々考えます。
本社がある代々木のオフィスは築50年以上の古い建物なので、正直地震本体に耐えられるのかどうか、と考えます。今はほぼリモートワークということもあり、事務所にいたらとりあえずは外に走って逃げようと思います。

が、問題はここから。今は事務所から家までが3kmなんてことはなく、なんと80kmもあるので、歩いて帰るっていうわけにはいきません。どうしたもんか。
普段はリモートというか、自宅で仕事していることが多いのでそんなに心配はしていないのですが。

車で来ていれば渋滞覚悟で家路につくと思いますが、電車で来ていたら、新幹線や小田急線が復旧するのを待つしかないです。万が一のときに事務所に泊まれるようにはなっていますが、お風呂がないのであまり泊まろうという気持ちにはなりません。

近くに住む知り合いに合鍵を渡して、万が一のときは犬をよろしく、と言うしかないですよね。たぶんやってくれるとは思いますが、その人だってそれどころじゃないと思いますし、かといって、犬に避難訓練させるわけにもいかず。
一応WEBカメラはつけてはいるけど、たぶん揺れでカメラは棚から落ちちゃうだろうし。

対策としてやっていることは、
・背の高い棚は倒れないように壁と固定(賃貸住宅だっていうことは秘密ですが、そんなことより犬の命の方が大事)
・クレートやケージに入れても騒がないようにしている(自ら入るとは言っていない)
ぐらいでしょうか・・・。

どんなことをしたら良いのか、いろいろ考えないといけないですね。
当時と違うのは、今は海のある街で暮らしているので、津波の心配をしないといけません。調べたところ、海からの直線距離は約3km、標高は20mということで、たぶんここまでは津波は来ないだろうとは思っています。もし来たとしても、海と反対方向に行くと山なのであまり津波の心配はしていません。標高50mのところまででも歩いて10分程度です。大きな川までも1.5kmあります。
ただ、散歩などで海や街にいることも結構あるので、そういうときはどうしたら良いのかなって思ったりもします。あまり心配しすぎても日常生活に影響が出そうですが、車をとめるときに、ここでもし地震とか津波があったらどこに逃げるんだろうな、っていうのは少し考えるようにはしています。自分一人ならともかく、犬を連れていることも多いので。

車で避難できると良いのですが、果たして車で行けるのか。避難所に犬を連れていけなかった場合、車で過ごすというのが現実的なので、なんとか車が被災しないようにと思っています。
と考えると、車の中に、犬のフードやトイレなどいろいろ準備しておいた方が良いのかな。でも、腐りそうだからすぐに持ち出せるようにしておけばいいか。自分の食べ物の心配より犬の方が心配です。自分は少しは我慢すれば良いですが、犬はあまり我慢させたら人を食べるかもしれないし、などと余計なことも考えちゃいます。

あのとき被災した犬や猫、その他の動物たちはどうしたのだろうか。ネットで調べればいろいろな情報が出てくるのはわかってはいるのですが、たぶん涙なしには見られない話もたくさんあるんだろうな、と思うと調べられずにいます。
琥珀は今のところ泳いだこともないので、もし水害があったら、のことを考えると、泳ぐ練習させようかな、犬用のライフジャケット買ってあげようかな、とか考えます。僕は泳げるので、長時間でなければ犬を抱いたまま泳ぐこともできると思いますが、年をとって体力がもうないので、僕のライフジャケットが必要なんじゃないか、とか。

あれから10年

あれから10年、本震直後は、いつでも逃げられるように、靴下をはいて、ベッドの脇にはスニーカーを置いて寝ていましたが、いつの間にかそれもやらなくなりました。
背の高い家具はできるだけ固定するようにはしていますが、家の中に物が散乱しないように対策がされているかと言えば、そうとは言えない状況です。
いつでも逃げられるように、防災グッズとまでは行かなくても、必要なものをひとまとめにバックパックに入れていたのも気づけばやらなくなっていました。たぶん保存食の賞味期限が切れそうなタイミングで食べてそのまま止めた気がします。
いつ来るかわからないものだから、自分だけでなく、犬の命のことも考えてこれからの防災について考える日にしたいなと思います。

モフタスでも、犬や猫と逃げること、避難することについて、情報提供はしていきたいと思いますし、いつかはその手助けができるような会社になりたい、と思っています。